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日本のエネルギー問題を考える(7)

2011.08.28(19:26) 51

              NHK の特別番組を見て

2011年8月27日放映のNHK特別番組「私たちのエネルギー!」を見ました。討論の流れはだいたい私がこのブログで述べてきた流れになったように思います。しかし、この問題についてコメントしたいことが出てきましたので、私のエネルギー戦略は次回にまわして、もう一度私の論拠を復習し、この番組内容に対する私の意見を述べたいと思います。

 まず番組で環境エネルギー政策研究所所長飯田哲也氏(脱原発を主張)と21世紀政策研究所研究主幹澤明裕氏(原発を安全に使っていこうと主張) 両氏の主張がぶつかり合い、平行線をたどって意見が収束せず、相手の主張の問題点だけを否定し合うという議論の流れに、ノンフィクション作家吉永みち子氏がもっと両者歩み寄って、どういう将来を描けばよいかということを建設的に話し合うべきだと苦言を呈していました。その通りで、私の今回のエネルギー問題で最初にお話ししましたが、それぞれが自分の価値観に固執して議論するので当然このような流れになってしまいます。これでは不毛の議論で終わってしまします。
 
 そこで私が提案したのが、価値観のメタコンセプト(両者を包含するより上位の価値観)を皆で見つける努力をしたうえで議論しましょうということでした。私のブログの中ではそれができませんので、私が両者に代わって提案したのが次のメタコンセプトです。
  『豊か(安全を含む)な社会を実現したい』

 この価値観の内容の掘り下げが不十分でしたので、ここで補足したいと思います。最初は原発問題から出発したので皆さんに分かりやすい視点から出発しましたが、この「豊かな社会」という言葉には、単に安全で物質的な生活水準がある程度保障された社会という意味だけでなく、もっと深い意味があります。それは我が国が太平洋戦争の敗戦という極貧の生活レベルから戦後がスタートして、アメリカの物質的に豊かな生活に憧れ、国民はアメリカのような大量生産・大量消費の物質的な豊かさを追い求めてきました。大量生産・大量消費という物質飽和の社会が善であり、当たり前に思っていました。
 
 その結果、現在の日本は十分に物質的な豊かさを享受し、原子力発電を含む電力も湯水のように消費して生活を謳歌してきました。そこにきてこの原発事故です。原子力発電の存続が見直されなければならない事態になって、電力は空気のように消費してもよいものではないこと、これからはエネルギーのある程度の制限のもとで生活を強いられることになったわけです。しかし、いまだに経済的な視点で原発は必要だ、原子力発電なくては日本の経済が成り立たない、安定した電力源として安い原子力発電(本当は決して安くない)が必要だ、などという主張をする人たちがいます。こういう人たちは一度福島に居を移して生活し、そこからそのような主張をしてはどうでしょうか。

 エンジニアとして言わしてもらえば、いかなるシステムにも事故の危険性は必ずあります。このテーマの最初にそのような事例を紹介しました。もし今度、同じような原発事故を起こせば、今度は、日本は本当に立ち直れません。日本だけでなく世界に迷惑をかけます。
 
 また世界のどこかの原発が事故を起こした場合、日本も影響を受けます。したがってこの問題は日本だけの問題ではなく、世界各国が原子力発電をできるだけ早く止めるべきなのです。そのために、日本の高い技術力を用いて新エネルギーの技術開発をして世界に貢献するべき時なのです。

 それでも原子力発電を止めるなどということは不可能だという人がいますが、技術には実現不可能なことはありません。原子力発電がなくても新しいエネルギーもしくは発電システムをいくらでも開発することは可能です。それどころか一見不可能に見えることに挑戦すると、それを実現するという効果以上に、新しい産業が興るという効果が伴います。

 人は大きな変革を求められると、そんなことは不可能だといって変革を尻込みすることがありますが、不可能なことはありません。私がこのような考え方に反論する事例としていつも話すことを、TV番組の中でも吉永氏が引用していましたが、アメリカのマスキー法が良い例です。1970年にアメリカの上院議員マスキーが提案した法律で、ガソリン車の有害排出ガスを従来の1/10に抑えようとした法律です。アメリカの自動車メーカーは不可能だといってこぞって反対しましたが、日本のメーカーは8年後にそれを実現しました。この成功が後の日本製自動車の燃費向上に役立って自動車産業が現在の繁栄につながったわけです。

 さてまた『豊かな社会』の検討に入りましょう。これからは物質的な豊かさを求めるのではなく、発想の転換をして精神的な豊かさ、魂の豊かさを求めることも必要ではないでしょうか。電力が足りなくても、他人に対する思いやりを持ち、人と人とのつながりを大事にする温かい社会、芸術・文化が大事にされ、精神的な満足が大事にされる社会が求められるのではないでしょうか。そのために使うエネルギーの量は、物質的要求を満たす場合よりもずっと少なくて済みますし、CO2 の排出量も少なくなります。このように精神的に豊かな社会の実現がこれからの我々が目標とするビジョンになるのではないでしょうか。したがってこのビジョンを目指して、エネルギー需要は現在以上に増えない未来を仮定した戦略を次回に提案します。

 その他に、TVの討論を観ていて気になることがありましたので、二、三コメントしたいと思います。まず専門家の人たちの議論で欠落している視点がありました。その一つは技術進歩の視点です。技術は進歩します。性能も上がり、コストも下がります。従来にない全く斬新な革命的な発明が出てきて階段状に性能もコストも飛躍的に向上することがあります。このような不連続な革命的な発明は別にしても、連続的な技術の進歩を考えると、現在不可能とかコスト的に不合理だとかいう議論は成り立ちません。技術の進歩を考えれば、「…だからだめだ」という否定的な意見は出せなくなるはず。
 
 また技術的進歩は十分予測できるものです。例えば、太陽電池ですが、以前に述べたとおり変換効率は10~15年後には50%を超える可能性があります。つまり変換効率を現在の2倍に持っていけます。これだけでも設備投資費用および発電単価は半分以下に下がります。そうすると太陽電池は分散型発電だけでなく集中型の実用的なメガソーラ発電も夢ではなくなります。私の戦略もこの視点でエネルギー戦略を少々楽観的に提案します。

 現在のバッテリーは性能でもコストでもまだ不十分です。しかし、将来燃料電池がさらに性能が上がり、コストが下がればバッテリーとは違った蓄電ができます。つまり余った電力で水素を製造し、燃料電池や水素ガスタービンを使って発電することができるわけです。自然エネルギーが作られ過ぎて余った場合、電力会社はその処分に困るから自然エネルギーは使えないという反対論はあえなく消え去ります。

 火力発電についても気になることがありました。それはCO2 を排出するから問題だという議論です。これも「・・・だから駄目だ」という欠点探しの議論で建設的でありません。いま各方面でCO2 回収・貯蔵技術の開発研究がなされています。この技術革新もそう遠くないと考えます。低コストでCO2 を回収・貯蔵できれば、火力発電は相変わらず有力なエネルギー源になります。現在LNGを海外から輸入していますが、日本近海に大量に埋蔵されているメタンハイドレードというLNGに匹敵する素晴らしい資源があります。この採掘技術が進歩すれば(必ず進歩します)、原料を輸入しなくても自給できて、しかも格段に発電単価が下がります。

 原子力発電が全部なくなって、しかも電力がどんなに安く手に入るようになっても、電気エネルギーを浪費して元の物質中心の社会に戻ってもよいというものではありません。この機会に是非われわれはどのような『豊かな社会』を目指すのか、もう一度立ち止まって考え、新しい文化を世界に先駆けて創造する方向に邁進したいものです。そういう社会はきっと皆幸せになれる社会だと思います。

 それでは次回いよいよ私の時間軸を考えたエネルギー戦略を述べたいと思います。

ばら園のばら

前橋市のばら園のばらです
このようなばらを愛でるのは物質的な文化でしょうか
精神的な文化でしょうか

  

Recsat Hiromu



2011年08月
  1. 日本のエネルギー問題を考える(7)(08/28)
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